株式会社おきたま興農舎

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ごあいさつ

メッセージ

 北緯38度線を挟んで、南に吾妻連邦、西に飯豊、朝日の連山、東は奥羽の山々に囲まれた山形県南部に位置する置賜地方は、遠く弥生の時代より農耕の歴史を刻んできた我国有数の純農村地帯である。日本一の多収技術を誇る稲作、西洋梨、サクランボをはじめとし、山梨県勝沼地方に匹敵する葡萄団地、中央市場最高値を保持するりんご等、昼暑く夜涼しい盆地特有の気象条件と長年培われた豊かな土壌、勤勉な農家の技術とが相まって生鮮野菜を含む農産物の宝庫となっている。
 1970年代にはいり顕在化した水俣病を始めとする環境汚染や、食の安全性に対する意識の高まりは、農民の意識変革に多大な影響を与え、各地に食の安全を追及し、なおかつ資本の収奪に対峠する幾多の農民グループの結成をみたのであった。それらグループの活動と経験は、消費者組織の拡大、基盤強化の一助となり、また産直農家の経営を確かに安定化せしめたに違いない。
 しかし、私達の狙いは経済的安定と消費者が満足する農産物の供給の役割を果たすことのみであったのであろうか、答えはノーである。生命を危険にさらす農薬肥料の開発は後をたたず、多くの農家は買ってモラエル程度の生産に満足し、消費者もまたその構造の中に安住して来たのである。安全でも美味でなければ意味がない。産直農家だけが生き残り、周囲の農家が壊滅したのでは、これまた農業のそのものが成り立たない。この国の農の存亡をかけた戦いに、悲愴な決意など持ちはしないけれどまずは参戦する次第である。

おきたま興農舎代表 小林亮

おきたま興農舎のこと

 1989年、年の瀬せまる12月27日、山形県南部3市5町からなる置賜地方で、青年団や農協青年部などで青年運動を共にした友人11名で設立したのが「おきたま興農舎」。なけなしの持ち寄った総額300万円を原資として中古プレハブを改造した12坪のそまつな建物に電話・FAX各1台・ガスコンロ1台・・・それが全てでした。平均年齢40才、取引先見込み0。ただひたすらに~このままでは農村が崩壊してしまう。何とかしなくては~の一念が、あてのない旅の始まりでした。
 工業製品輸出の増大は農産物の大量輸入を招き、農村の食生活も激変、米余り現象は20年にも及び、農産物全般が価格落の兆候をみせていた。当然、後継者を育てる訳もなく、むしろ若い人材は都市へ、他産業へと流失していくこととなりました。
 人は減り、田畑は残り、価格は下がります。ここでお決まりの規模拡大・コスト削減路線がもてはやされることになり、狭い耕地に大型機械と化学肥料・農薬の大量投与が始まったわけです。「チッソ」や「川崎」、古くは「足尾鉱山」の悲劇を全国の農村で再現するかの如き愚挙を繰り広げたのです。
 健康な生活の源であるはずの食が、工業製品並みの粗製乱造・・・。田舎社会にかつてなかった「皮膚科」や「心療内科」が激増し、妊娠初期の流産が多発している現実を見るとき、未来への大きな危惧を覚えます。それ故に無農薬や特別栽培への転換を実現したのでした。私達は、特別な事に取り組んでいるつもりはありません。私達自身が食べたいと思う食べものを作り育て、自らも食し、消費者の皆さんにも同じものを食べていただく、そのことで、健康な生活が実感され、作物固有の味や香りに堪能していただければ本当に嬉しく思います。さらに、その思いが、一人でも多くの人に伝わった時、一人又一人と「むら」に若者が帰ってくると信じています。



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